▼大学生編1(横浜国立大学I.Cさん 都留文科大学S.Dさん 早稲田大学K.Yさん 上智大学T.Kさん 横浜国立大学U.Rさん 慶應義塾大学N.Sさん 東京理科大学K.Mさん 横浜国立大学K.Rさん 早稲田大学T.Tさん)
▼大学生編2(明治大学K.Yさん 青山学院大学K.Yさん 法政大学N.Mさん 明治大学S.Tさん 明治大学S.Jさん 立教大学O.Kさん 法政大学U.Mさん 明治大学Y.Aさん 青山学院大学H.Kさん 立教大学N.Mさん 立教大学M.Sさん 法政大学T.Kさん 法政大学K.Mさん)
▼大学生編3(東洋大学H.Rさん 駒澤大学G.Mさん 日本体育大学H.Yさん 東京農業大学S.Nさん 立命館アジア太平洋大学H.Kさん 国士舘大学M.Sさん 東洋大学M.Mさん 東京農業大学F.Yさん 東海大学K.Nさん 明治学院大学M.Sさん 立命館アジア太平洋大学R.Sさん 日本大学S.Mさん 日本大学O.Mさん 日本体育大学K.Hさん)
▼社会人編(株式会社 大林組Mさん 横浜市立岡村中学校K.Tさん 横浜市立十日市場中学校K.Mさん)
大学生編1
大学生編1
【横浜国立大学教育学部 在学】I.Cさん R7年3月卒業
横浜清風の家庭科の先生が私のロールモデルです
横浜清風の家庭科の先生が私のロールモデルです
横浜国立大学 教育学部 学校教員養成課程 自然・生活系教育コース 在学

横浜清風の家庭科の先生は、まさにロールモデルとなる先生でした。先生のリーダーシップや生徒に寄り添う姿勢は、教員志望の私が目指す姿です。受験の課題レポートは、国語の先生に何度も添削をしていただき、多くの教科の先生に面接の練習をしていただきました。近年、家庭科で取り扱う内容は生活全般にわたり、教えがいのある教科です。私も横浜清風の先生のように生徒を理解し寄り添って、学ぶ意欲を引き出せる教師を目指します。
【都留文科大学教養学部 在学】S.Dさん R7年3月卒業
「人間は変われる」と教えてくれた横浜清風
「人間は変われる」と教えてくれた横浜清風
都留文科大学 教養学部 地域社会学科 在学

生徒会副会長を務め、靴下とコートの校則を自由化したことは自分を変えるきっかけになりました。生徒会顧問の先生にはたくさん叱られましたが、いつも遅くまで残ってくださり、受験を乗り越える力にもなりました。学校生活を楽しくできるかどうかは自分次第だと思います。成長したいという気持ちと目標があるならば、全力でサポートしてくれるのが横浜清風です。「人間は変われるんだよ」と伝えられる社会科の教師になります。
【早稲田大学文学部 在学】K.Yさん R7年3月卒業
何かに熱中できる仲間がいたフォークソング部
何かに熱中できる仲間がいたフォークソング部
早稲田大学 文学部 在学

80名を超える部員を抱えるフォークソング部はいくつものバンドが編成されて活動していました。シャッフルバンドで演奏することもあります。一番の思い出は「ほどがやバンドバトル」で2位になり、FM yokohamaに出演したことです。一つのことに熱中できる仲間たちで、オリジナル曲を作る部員もいました。今、僕が心惹かれているのはゲームのストーリー作りですが、どんな道に進むにせよ、自分にしかできない仕事がしたいと思います。
【上智大学外国語学部 在学】T.Kさん R7年3月卒業
世界史のプリントは僕の知の財産になりました
世界史のプリントは僕の知の財産になりました
上智大学 外国語学部 ロシア語学科 在学

担任で社会科の先生は、さまざまな国の視点に立って教科書に載っていない世界史を教えてくれました。世界史の勉強は受験のためという義務感はなく、一番楽しい時間でした。先生がまとめてくださった、国や地域に特化した世界史のプリントは知の財産になっています。ロシア語ができたら日本人にあまり知られていないロシア圏の探究もできるはず。英語と日本語、ロシア語のトリリンガルになって、世界史で学んだ場所を訪れてみたいと思います。
【横浜国立大学教育学部 在学】U.Rさん R6年3月卒業
「考えるってこういうことなんだ」と教えてくれた先生方がいました
「考えるってこういうことなんだ」と教えてくれた先生方がいました
横浜国立大学 教育学部 在学

私は横浜清風の先生方の影響を受けて先生になりたいと思い、大学を選びました。担任の先生とは勉強、学校生活すべてについてとことん語り合うことができました。数学の先生の解説はとても分かりやすく、白紙解答をさせないことがポリシーで、「分からない問題でもまずは考えることが大事」と教えてくださいました。入試の面接で「どんな先生になりたいか?」と尋ねられて思い描いたのは、自己否定しがちな中学生に「大丈夫、君にはちゃんと居場所があるから」と言ってあげられる教師像です。これは担任の先生と語り合えたからこそ描けた教師像だと実感しています。横浜清風には確かに私の居場所がありました。
【慶應義塾大学文学部 在学】N.Sさん R6年3月卒業
一般選抜受験者を最後まで一緒に応援してくれた仲間たち
一般選抜受験者を最後まで一緒に応援してくれた仲間たち
慶應義塾大学 文学部 在学

コロナ禍で行事が中止になるなど制限がありましたが、だからこそクラスが一つになれたと思います。所属していたワンダーフォーゲル部には特進コースの部員が多く、真剣に勉強する姿勢に刺激を受けて一般選抜に挑戦しようと思いました。僕は文学部ですが実は国語が苦手で、それをカバーしたのは世界史です。興味深いエピソードを交えながら教えてくださったので世界史が得意科目になりました。クラスには推薦などで早く進路が決まる人もいましたが、最後まで一般選抜受験を応援してくれた仲間の存在は大きかったです。総合進学コースでも、一般選抜への挑戦をサポートしてくれるのが横浜清風の特徴です。
【東京理科大学創域理工学部 在学】K.Mさん R6年3月卒業
新しい大学受験への挑戦でも手厚いサポートがありました
新しい大学受験への挑戦でも手厚いサポートがありました
東京理科大学 創域理工学部 先端化学科 在学

横浜清風に入学して変わったのは、苦手だった化学が得意になっていたことです。授業がとても楽しく、いつしか化粧品開発の分野に興味を持ち、先端化学の分野に志望を決めるまでになっていました。総合型選抜の受験では、志望理由書を書くために夏休み中も毎日のように学校に通い、担任の先生が添削してくださいました。2学期になると、今度は面接の練習に何度も付き合っていただきました。東京理科大学の総合型選抜は、私の代が初めての実施で過去問もなく不安だったのですが、先生方の手厚いサポートで乗り越えました。横浜清風は、生徒が頑張っている姿勢を見逃さずに応援し、希望を叶えてくれる学校です。
【横浜国立大学理工学部 在学】K.Rさん R5年3月卒業
数学の面白さを教えていただいて「学ぶこと」の楽しさを知りました
数学の面白さを教えていただいて「学ぶこと」の楽しさを知りました
横浜国立大学 理工学部 数物・電子情報系学科 在学

高1の秋まで文系志望だった僕が理系に転じたのは、数学の先生に数学の面白さを教えていただいて、数Ⅲまで勉強したいと思ったからです。数学は自分で考えることが多い授業でした。壁にぶつかると先生がヒントをくださったので、自分で解く醍醐味も知りました。特進コースは国公立大学志望者のために、どの教科もバランス良く基礎を身につけさせてくれました。国公立の受験は記述問題が多いので、数学、英語、物理の過去問の添削もしていただきました。中学生のときは勉強が面白いと思わなかったけれど、横浜清風は学ぶことの楽しさを教えてくれました。
【早稲田大学商学部 在学】T.Tさん R5年3月卒業
特待生として、何としても一般選抜で挑戦すると決めていました
特待生として、何としても一般選抜で挑戦すると決めていました
早稲田大学 商学部(特進コース卒業)
僕が学んだ特進コースには0限と7限の授業があり、十分に勉強できるカリキュラムでした。夏休みは1時間勉強したら15分休むというリズムを作り、メリハリをつけて自習。勉強に没頭できたのは、特待生として横浜清風に入学したからには、大学受験は一般選抜で挑戦しようと決めていたからです。そんな僕のスタイルを、クラスメイトたちも見守ってくれました。早稲田大学には商学部の他に法学部、社会科学部、文学部、教育学部に合格。大学生活では広い視野で社会を見たいと思います。
大学生編2
大学生編2
【明治大学理工学部 在学】K.Yさん R7年3月卒業
高校物理のその先を見せてくれた物理の先生
高校物理のその先を見せてくれた物理の先生
明治大学 理工学部 電気電子生命学科 在学
僕が物理にハマったのは、普通の現象を数式にする物理の授業でした。先生は高校の先にある学問の世界を見せてくれました。高2では化学の先生の指導で、横浜薬科大学主催の「ハマヤク」というプロジェクトに参加しました。研究テーマはゴーヤの苦味成分を消す調理方法です。ちなみに部活動は調理部です。とはいえ今の僕の興味を掻き立てるのはリニアモーターカーの世界。大学で工学の分野を探求し、社会に貢献したいと思います。
【青山学院大学総合文化政策学部 在学】K.Yさん R7年3月卒業
自由に学び、自由に将来を思い描くことができました
自由に学び、自由に将来を思い描くことができました
青山学院大学 総合文化政策学部 総合文化政策学科 在学
特進は一般選抜に挑戦する人が多く、道は違っても同じ志で受験に向きあえるコースでした。3年で選択した政治経済の授業はとても興味深く、受験の力にもなりました。横浜清風はそれぞれが好きなことに取り組み、自由に将来を選択できる雰囲気があります。総合文化政策学部では、僕が好きなアニメを作品として見るだけでなく、多様な文化の中でどんな位置にあるのか、人の価値観とどのような関係があるのかを学べると期待しています。
【法政大学法学部 在学】N.Mさん R7年3月卒業
少しのことに動じない自分になれました
少しのことに動じない自分になれました
法政大学 法学部 国際政治学科 在学

吹奏楽部が活躍し、グローバルクラスがあることで横浜清風を選びました。学校生活で悩むこともありましたが、そのたびに顧問や担任の先生に励まされ、気づくと多少のことには動じなくなっていました。国際政治に興味を持ったのは世界史の授業がきっかけです。一般選抜での受験を考えていましたが、指定校推薦で志望を叶えることができました。大学ではもともと興味のあった言語学も含めて幅広く学び、世界が抱える問題を探究したいと思います。
【明治大学商学部 在学】S.Tさん R6年3月卒業
早い段階から目標を定めて、文武両道が実現できました
早い段階から目標を定めて、文武両道が実現できました
明治大学 商学部 商学科 在学

高校時代、熱中していたのはサッカーです。高3のときにサッカー部が県二次予選に進出することができ、部活をやり切った気持ちで受験勉強に臨みました。部活からの切り替えがスムーズにできたのは、進路選択のガイダンスを早い時期から受けて、目標を明確にし計画的に準備をしていたからです。特進コースは7時限まであって、途中から部活に参加する日もありましたが、仲間たちはそれを当たり前として受け入れてくれました。みんなの進路志望も多岐にわたっていましたが、ケースごとにガイダンスがあるので、それぞれが文武両道を実現させていました。これからも好きなサッカーは続けたいと思います。
【明治大学政治経済学部 在学】S.Jさん R6年3月卒業
早い段階からの進路ガイダンスで計画的に受験に臨めました
早い段階からの進路ガイダンスで計画的に受験に臨めました
明治大学 政治経済学部 政治学科 在学

僕は高1のときには進路の方向性を決めていました。それは、横浜清風の進路ガイダンスで、興味のある社会学系の学部に進むためには何をすべきか、早い段階から計画を立てることができたからです。今まで何事でも一番になったことがなかった僕ですが、目指す大学の演習問題を取り上げてくださった授業は力になり、ここで逆転するぞという気持ちになりました。所属していた写真部は年に数回コンテストに応募していて、自分が撮った写真が仲間に認められたことは自信にもつながりました。写真部が撮った学校行事の写真は、ホームページや学校説明会で紹介することもあるので、是非、注目してください。
【立教大学経営学部 在学】O.Kさん R6年3月卒業
グローバルに活躍する夢を、思い描くことのできた横浜清風
グローバルに活躍する夢を、思い描くことのできた横浜清風
立教大学 経営学部 国際経営学科 在学

横浜清風は学びの施設が充実した学校です。中でも大きなスクリーンがあり大学のような授業ができるグリーンホールは、他のクラスとの合同授業や探究の授業などで活用されていました。SDGsの探究で、僕は差別問題をテーマにしてプレゼンテーションをしました。アフリカの子どもたちのドキュメンタリー映画を観たのもグリーンホールでした。長い時間をかけて通学する子どもたちの姿を見て、社会の課題を解決するためにはグローバルな視点が必要だと痛感しました。横浜清風のさまざまな学びは、僕の眼を世界に向けてくれました。まずは多様な言語を習得して、将来は世界の最先端分野で活躍したいと思います。
【法政大学法学部 在学】U.Mさん R6年3月卒業
各教科の授業で興味を持った、国際政治の世界で活躍したい
各教科の授業で興味を持った、国際政治の世界で活躍したい
法政大学 法学部 国際政治学科 在学

私が国際政治に興味を持ったのは、世界史の授業でロシアによるウクライナ侵攻が取り上げられたのがきっかけです。現代文の授業でも戦争の条約について考える機会があり、学校推薦の小論文では戦争に関わる条約をテーマにしました。現代文の先生に何度も添削していただき、納得できる小論文を書き上げることができました。横浜清風の3年間はソフトテニス部と勉強を両立させることを目標にしていましたが、部活や各教科でさまざまな面からサポートを受けることができたからこそ今があると思っています。大学では留学も経験しながら、将来は世界の法律や政治に関わる分野で活躍したいと思います。
【明治大学商学部 在学】Y.Aさん R5年3月卒業
受験勉強は長い戦い
僕の肩の力を抜いてくれた先生の言葉に感謝しています
受験勉強は長い戦い
僕の肩の力を抜いてくれた先生の言葉に感謝しています
明治大学 商学部 商学科 在学

中学の頃から将来は公認会計士になりたいと思っていたので、高校生活は目標に向かって邁進する3年間でした。商学部を軸に志望校を考え、大学受験本番から逆算して学習計画を立てました。隙間時間には英単語の勉強をして、2年生の夏期講習で英文法、現代文、古文を基礎固め。とはいうものの、なかなか目標通りに勉強が進まない時期もありました。そんなときに先生が言ってくださった「偏差値なんて気にするな」という言葉で肩の力が抜けました。受験校の組み合わせに関するガイダンスもとても参考になり、第一志望合格につながりました。今は公認会計士になる目標の達成に向けて、一歩踏み出した大学1年生です。
【青山学院大学経営学部 在学】H.Kさん R5年3月卒業
励まし、伸ばしてくれた横浜清風
不安な自分を前向きにしてくれました
励まし、伸ばしてくれた横浜清風
不安な自分を前向きにしてくれました
青山学院大学 経営学部 経営学科 在学

所属していた陸上競技部は、お互いに励まし合い、練習の様子を動画で撮ってフォームを確認し合うなどチームとして団結した部活動でした。副部長として部長と協力し、後輩との関係を築きながら、一人ひとりのいいところを発揮できるよう努めました。陸上競技をやりたくて横浜清風を選んだので、部活動との両立を考えて志望校合格のために高2から少しずつ準備を始めていましたが、高3の夏に引退したときは不安でいっぱいでした。それでも、先生方の励ましがあって前向きに受験に挑むことができました。青山学院大学では企業とコラボしたプロジェクトもあります。4年間で起業への道も探したいと思っています。
【立教大学経済学部 在学】N.Mさん R5年3月卒業
先生方から多くの刺激を受けて、人生の進路を決定しました
先生方から多くの刺激を受けて、人生の進路を決定しました
立教大学 経済学部 経済政策学科 在学(特進コース卒業)
立教大学への受験を決めたのは、公募推薦の結果が出た3年生の秋でした。そこから先生方と一緒に他の受験方法や併願校を考え、受験スケジュールを組んでいきました。受験の武器になったのは英検準1級の資格です。英語は苦手教科だったのですが、横浜清風の先生方に初歩から手厚くサポートしていただいたのでいつしか得意教科になっていました。そこで1年生で準2級、2年生で2級、3年生で準1級を取得しようという目標を立て、イングリッシュラウンジも活用して目標を達成することができました。
「ひとつの目標に向かって3年間走り続けることができたら、それは人生において力になる」とアドバイスいただいたことも、諦めない原動力になりました。横浜清風では多くの先生に刺激され、たくさんのことを教わりました。
【立教大学経済学部 在学】M.Sさん R5年3月卒業
大学合格の喜びと同時に仲間と別れる寂しさを感じました
大学合格の喜びと同時に仲間と別れる寂しさを感じました
立教大学 経済学部 経済政策学科 在学

高校生になったら勉強するぞ!と思って横浜清風に入学し、同じ目標を持つ仲間がいる特進コースを選びました。実際、大学受験は先生や仲間とのチーム戦だったと思います。苦手教科の勉強法を友だちから教わったり、参考書情報や出願の日程についても、クラスメイトとよく話し合っていました。先生には共通テスト後にも選択肢をたくさん提案していただきました。1月から2月の入試直前の1ヶ月間に立てていただいた綿密な学習プランのおかげで、大学入試を突破できたのだと感謝しています。
合格が出たときは、喜びと同時に「次は仲間との別れがやってくる」という寂しさも感じました。コロナ禍で制限も多くありましたが、青春を謳歌できた高校生活です。
【法政大学デザイン工学部 在学】T.Kさん R5年3月卒業
各教科の手厚い学習指導が力となり、クラスには切磋琢磨し合う仲間がいました
各教科の手厚い学習指導が力となり、クラスには切磋琢磨し合う仲間がいました
法政大学 デザイン工学部 システムデザイン学科 在学

中学の頃は試験結果にあまり興味がなかった僕が負けず嫌いになれたのは、高い目標を立てて切磋琢磨し合う仲間がいたからです。同じクラスの仲間とは、競い合い、励まし合いながら勉強をしていました。模試の成績が振るわないときにちゃんと叱ってくれた先生は、僕に受験生としての自覚を持たせてくれました。英語の過去問解説の授業ではその時点での自分のレベルを確認でき、清風PLUSの化学の授業ではマンツーマン指導のおかげで苦手を克服できました。数学は放課後に特別学習講座を開講していただいたので、勉強の指針を立てることができました。
大学ではさまざまなモノの構造や仕組みを学んでいます。将来は人の役に立つロボット開発に携わるのが夢です。
【法政大学法学部 在学】K.Mさん R5年3月卒業
世界に目を向けさせてくれた横浜清風
将来は何にでもチャレンジしてみたい
世界に目を向けさせてくれた横浜清風
将来は何にでもチャレンジしてみたい
法政大学 法学部 国際政治学科(総合進学コース卒業)
私が所属していたグローバルクラスでは、オンラインで海外の学生と交流する機会がありました。拙い英語と日本語でコミュニケーションをとっていましたが、それでもお互いの文化の違いを感じることができてとても楽しかったです。インターアクトクラブでは、SDGsの目標達成案を企業に向けてプレゼンテーションする「サステナブル・ブランド国際会議」に参加したのが印象的です。他校の生徒と協働し、議論を重ねながら発表した経験は、世界で起きている問題に目を向けるきっかけとなった体験です。 横浜清風でさまざまな取り組みをする中で、一見、自分に関係がなさそうなことにも興味を持ち、課題にチャレンジしてみたいと思えるようになりました。この気持ちがあったからこそ、自分の将来を前向きに考えられるようになりました。大学では海外留学にもチャレンジして、さらに将来の選択肢を広げたいと思います。
大学生編3
大学生編3
【東洋大学国際観光学部 在学】H.Rさん R7年3月卒業
「観光」を軸に、世界に視野を広げたい
「観光」を軸に、世界に視野を広げたい
東洋大学 国際観光学部 国際観光学科 在学

いつか海外のフィールドで仕事がしたいと思っていた僕は、留学制度が充実しているグローバルクラスに入学しました。3年間クラス替えがなく、多様性を認めてくれる横浜清風の雰囲気の中でコミュニケーション力が磨かれたと感じています。
2年生の文化祭ではお化け屋敷を企画して、紆余曲折ありながらも成功させることができました。お化け役になってお客さんたちを驚かせたこともいい思い出です。修学旅行はハワイを選びました。現地の大学生との交流を通して日本とアメリカの文化の違いを実感し、フィールドワークが充実している東洋大学の国際観光学部を志望しました。大学では、「観光」を軸に広い視点から考え、学ぶことができると期待しています。
【東京農業大学応用生物科学部 在学】S.Nさん R7年3月卒業
整った学習環境が志望を叶えさせてくれました
整った学習環境が志望を叶えさせてくれました
東京農業大学 応用生物科学部 栄養科学科 在学

食品業界に興味があり、管理栄養士の資格取得を目指していた私にとって、特進は学習環境が整い、志望を叶えさせてくれるコースでした。大学の情報や指定校推薦枠が多いことも魅力です。クラスの仲間とも仲が良く、勉強ばかりではなく球技大会や体育祭で一致団結するクラスで、楽しい思い出がたくさんあります。東京農業大学は産学連携が進んでいるので、企業と結びついたプロジェクトなどに挑戦したいと思います。
【日本体育大学スポーツマネジメント学部 在学】H.Yさん R7年3月卒業
ルールがあるからこそ楽しい。スポーツ大会の運営に関わりたい
ルールがあるからこそ楽しい。スポーツ大会の運営に関わりたい
日本体育大学 スポーツマネジメント学部 スポーツマネジメント学科 在学

横浜清風のサッカー部は80人くらい部員のいる大所帯です。それでもコーチ、監督、部員同士がしっかりとコミュニケーションをとり、何でも言い合える雰囲気でした。クラスに同じサッカー部員がいたので、1・2年次の球技大会で優勝できたのが思い出です。
横浜清風は校則が厳しいと言われます。しかし振り返ってみると、厳しいからこそ工夫して楽しみを見出すことができたのだと思います。スポーツとはまさに、ルールがある中でいかに工夫して試合に勝つかを考えること。大学でスポーツマネジメントを学び、スポーツ大会の運営にも関われるようになりたいです。
【立命館アジア太平洋大学国際経営学部 在学】H.Kさん R7年3月卒業
多様な人たちとの出会いが自分を見つめるきっかけになりました
多様な人たちとの出会いが自分を見つめるきっかけになりました
立命館アジア太平洋大学 国際経営学部 在学

硬式テニス部で部長を務めた経験は、進路選択をする上でとても貴重な経験になりました。部長という立場では、他校の人とコミュニケーションを取る機会が多くあります。さらに硬式テニス部には多様なバックグラウンドを持つ部員がいたので、そのような人たちとの関係性を通じて、自分について深く見つめることもできました。
立命館アジア太平洋大学で国際生の友だちができることを楽しみにしています。将来はグローバルな企業でマーケティングの仕事がしたいと考えています。
【駒澤大学医療健康科学部 在学】G.Mさん R7年3月卒業
診療放射技師として人を支えたい
診療放射技師として人を支えたい
駒澤大学 医療健康科学部 診療放射線技術科学科 在学

オープンキャンパスで見学した診療放射線の医療機器に興味を持ち、指定校推薦に挑戦しました。副部長を務めたバレーボール部は経験者が多いのですが、初心者も活躍しています。目標としてきた関東大会出場は、後輩たちが達成できそうです。横浜清風は部活動と勉強が両立できる学校です。大学生になって楽しみにしているのは病院実習。将来、診療放射線技師として、人を支えられる人間になりたいと思います。
【国士舘大学体育学部 在学】M.Sさん R7年3月卒業
強豪バスケ部で学んだことを将来に活かしたい
強豪バスケ部で学んだことを将来に活かしたい
国士舘大学 体育学部 体育学科 在学

横浜清風のバスケ部は、実力のある部員が切磋琢磨し、全国大会を目指す部活動です。そこでゲームキャプテンを務めた経験はとても貴重でした。チームを構築しながら大学受験に臨んだ経験は、流れに身を任せるだけでは成し遂げることはできませんでした。それができたのは顧問の先生の「君は上手なプレイヤーではないから、人一倍努力しなければいけないよ」との言葉です。将来は子どもたちにスポーツの楽しさを伝える教員になります。
【東洋大学健康スポーツ科学部 在学】M.Mさん R6年3月卒業
マネージャーを務めた経験で気づいた誰かを支える喜び
大学、その先の将来も「人を支える」ことに関わり続けたいと思います
マネージャーを務めた経験で気づいた誰かを支える喜び
大学、その先の将来も「人を支える」ことに関わり続けたいと思います
東洋大学 健康スポーツ科学部 栄養科学科

誰かを支えたいと思ってマネージャーを務めたサッカー部は、先輩後輩の関係性が良くて明るいチームでした。私の仕事はビブスの洗濯をしたり練習メニューの準備をしたりと、先を見据えた行動が求められました。裏方としてのマネージャーは大変なこともたくさんありましたが、仲間の「ありがとう」の一言でいつも報われていました。大学ではアスリートを支える学部を選びました。管理栄養士の資格を取得したり食品関係の研究室に進むなど、幅広い将来がありそうです。大学でも運動部のマネージャーを務めるか迷うところですが、「人を支える」ことに関わり続けたいと思います。
【東京農業大学国際食料情報学部 在学】F.Yさん R6年3月卒業
教科を横断して学んだ社会の課題
世界で求められる人材に成長したい
教科を横断して学んだ社会の課題
世界で求められる人材に成長したい
東京農業大学 国際食料情報学部 国際農業開発学科 在学

世界の課題を考えるのが面白いと思ったのは、アントレプレナーシップを養う授業の一環として取り組んだ英語のグループ学習です。友だちの視点を知るのは貴重な体験でしたし、考えたことを発表するのも新鮮でした。英語の授業で取り上げられる長文は時事問題が多く、その内容は現代社会や総合福祉の授業ともリンクしていたので知識も興味関心の幅も広がりました。高3の冬に取り組んだ大学の過去問題は、みんなで話し合って解答し、人に教える機会もあったので理解が深まりました。大学は高校の学びを深めるための場、そこで蓄えた知識や教養を社会に還元する国際機関で働ける人材に成長したいと思っています。
【東海大学文学部 在学】K.Nさん R6年3月卒業
強豪女子ソフトボール部でたくさんの貴重な体験をしました
強豪女子ソフトボール部でたくさんの貴重な体験をしました
東海大学 文学部 英語文化コミュニケーション学科 在学

私が所属していたソフトボール部は国体やインターハイにも出場経験のある強豪です。強さの秘訣は基礎練習を真剣に行うこと。そして、毎年インターハイ予選後に新しいチーム作りをして試合を重ねながらブラッシュアップしていくことです。高3のとき、私は神奈川選抜チームの一員として国体に出場させていただきました。厳しさもありましたが、周囲への気配りと視野の広さを身につけることができました。大学でもソフトボールを続けながら、英語教員を目標に学んでいます。言語学にも興味があるので、生徒一人ひとりが「分かった!」と言えるような、コミュニケーション英語を教えられる教員を目指します。
【明治学院大学法学部 在学】M.Sさん R5年3月卒業
選挙権を持ち、18歳が成人になった高校時代
社会の一員として私が選んだ法学部
選挙権を持ち、18歳が成人になった高校時代
社会の一員として私が選んだ法学部
明治学院大学 法学部 法律学科 在学

横浜清風在学時、成人年齢が18歳になり、高校生が選挙権を持つことになるなど、自分自身が当事者になる大きな出来事がありました。政治経済の授業は興味深く、私が法学部を志望するきっかけとなりました。先生は教科書に載っていないリアルタイムの情報をテキストにしてくださって、その内容は入試にも出題されたほど貴重なものです。
コロナ禍の影響で入学式ができたのは6月でしたが、インスタグラムを通じて同じ特進コースの吹奏楽部の友だちと出会い、お互い支え合いながら部活動と勉強を両立しました。一般選抜は、何でも話せる友だちと一緒だったからこそ乗り越えられた挑戦でした。
【立命館アジア太平洋大学国際経営学部 在学】R.Sさん R5年3月卒業
苦手な日本語を手厚くサポート
いつも自分らしくいられた横浜清風
苦手な日本語を手厚くサポート
いつも自分らしくいられた横浜清風
立命館アジア太平洋大学 国際経営学部 在学

中3の時に中国から日本にやってきた私にとって、横浜清風は日本人の友だちが初めてできた学校です。文化祭では1年生のときに劇を作って撮影し、2年生では理系クラスの個性を発揮しようとミジンコの研究発表をしました。3年生ではラムネを販売しました。食堂のメニューはどれも美味しくて、毎日お昼が楽しみでした。すべてが楽しい時間で、私はありのままの自分を出すことができました。先生との距離も近くて、数学は、10年分の過去問をプリントにしてくださり、苦手な国語は生徒ラウンジでマンツーマンで教えていただきました。将来は海外で働きたいので、海外の大学院に進み、さまざまな文化や考え方に触れたいと思います。
【日本大学生物資源科学部 在学】S.Mさん R5年3月卒業
専門的な領域まで教えていただいた理科の先生
論文レベルの志望理由書を書き上げたと自負しています
専門的な領域まで教えていただいた理科の先生
論文レベルの志望理由書を書き上げたと自負しています
成日本大学 生物資源科学部 海洋生物学科 在学

探究学習や文化祭で取り組んだSDGsの活動が、僕の目を海洋生物に向けてくれました。生物資源科学部には指定校推薦で受験。大学で何を学び、どのように将来に繋げていきたいのかをしっかりとアピールする必要がありました。そこで部活動の練習時間をやりくりしながら勉強し、志望理由書の作成にも十分な時間をかけました。海洋問題と一言で言っても多彩なサイエンスの分野が関わっています。理科の先生に専門的な領域まで教えていただきながら、何度も論文を書き、添削していただきました。文章化するのは大変でしたが、先生の添削によって研究論文レベルの志望書が仕上がったと思います。大学では静岡県の下田臨海実験所での実習が楽しみです。
【日本大学スポーツ科学部 在学】O.Mさん R5年3月卒業
恵まれた環境で練習できた部活動
将来は日本のスポーツ界に貢献したい
恵まれた環境で練習できた部活動
将来は日本のスポーツ界に貢献したい
日本大学 スポーツ科学部 在学

小学校からバスケットボールに熱中してきた僕は、専門のコーチがいて、練習環境も整った横浜清風のバスケ部を目指して入学しました。僕は学年代表を務めていたので、部活動の運営をめぐって顧問の先生とぶつかることもありました。思ったことをストレートに言ってしまう僕に対して先生は「自分の意志をしっかりと持ち、はっきり発言できるのはとても大切なこと」と肯定してくださった上で、自分の言動が人に与える影響を考えることや、想いが人に伝わる表現方法を教えてくれました。
大学受験の面接では、バスケットボールを通じて学んだことと大学で学びたいことを語り、この経験をもとに日本のスポーツ界に貢献したいと伝えました。志望が叶った学部には、日本のトップアスリートと共に学べる環境があります。バスケの技術はもちろん、人間的に成長させてくれた横浜清風に、将来は恩返ししたいと思います。
【日本体育大学体育学部 在学】K.Hさん R5年3月卒業
棒高跳びに打ち込んだ高校時代
大学では十種競技にチャレンジしたい
棒高跳びに打ち込んだ高校時代
大学では十種競技にチャレンジしたい
日本体育大学 体育学部 体育学科 在学

中学生の頃から練習に参加させていただいた横浜清風の陸上競技部は、施設や設備が整い、強い先輩たちがいました。ほかの部活動も盛んで、学校全体に活気があります。
僕の目標は棒高跳びでインターハイに出場することでした。2年の関東新人大会では自己ベスト記録で5位入賞、3年のときに念願だったインターハイに出場しました。その後、国体選手に選ばれて8位に入賞しました。志望校を日本体育大学と決めたとき、顧問の先生のサポートはとても手厚いものでした。
大学では十種競技でインカレに出場するのが夢です。スポーツの分野は多彩な進路があるので、教員免許などさまざまな資格にチャレンジして、将来の選択肢を広げたいと思います。
社会人編
社会人編
【株式会社大林組 勤務】Mさん H19年3月卒業
遊びも仕事も、世界を広げるには仲間の助けが必要
勉強は仲間を増やすチャンスを広げる武器になる
遊びも仕事も、世界を広げるには仲間の助けが必要
勉強は仲間を増やすチャンスを広げる武器になる
武蔵工業大学(現・東京都市大学)、同大学院を経て株式会社大林組 勤務

高校生活を振り返ると、0限、7限の授業をはじめ、先生や友人を巻き込んで定期テストや受験対策の勉強会を開き、勉学に励んだことを一番に思い出します。また、クラスメイトと結成したバンド活動も深く記憶に残っています。進路を決める際には、自然災害から人命を守ることや木造住宅に興味があったため、建築学に実績のある武蔵工業大学(現・東京都市大学)に進学しました。
大学では2年次に木造住宅の柱梁などの骨組設計で最高評価を得たことをきっかけに、本格的に建築構造学を学び始め、4年では免震住宅の開発を行う研究室に所属して研究に没頭し、幸運にも首席卒業を果たしました。その後、同大学院に進学し、免震ゴムの研究を主に論文を執筆する一方で、東日本大震災の被災地調査に参加し、建築士取得・語学学習(TOEIC855点)・国際学会の運営にも取り組みました。
大学で得た知識を活かすために東京スカイツリーを建設した株式会社大林組へ入社しました。1年目は、建物の作り方を学ぶために現場監督としてJR大井町駅前の大型ビジネスホテルの現場で働きました。現場監督は、建設現場で数百人にも及ぶ職人さんの安全や作業の管理をして、現場を円滑に進めることが仕事です。職人さんの中には反りの合わない人もいますが、相手を尊重して話し合うことで仕事熱心で温かい人が多いことを知りました。こうして大勢の人の思いが込められた建物を作ることこそが建築の魅力だと思います。現在は、より安全で安心な建物作りに貢献するために、技術研究所で建築構造の研究開発に携わっています。
これまでを振り返ると、遊びも仕事も一人で完結するのも一興ですが、人一人の能力には限界があり、世界を広げるには仲間の助けが必要だと知りました。そして、その経験から、「勉強は、自分を助けてくれる仲間を増やす環境へ飛び込むための武器」だと考えています。そのためには、より良い(有名という意味ではなく)学校や職場などに入るための力を学生のうちに培うことが大事だと思います。少なくとも、私は横浜清風に入学したことで、そのスタートを切ることができました。無限の可能性を持つ皆さんにとって、仲間を増やすチャンスは、上を目指せば目指すほどに格段に増えていくと思います。私もより世界を広げるために、これからも精進したいと思います。
【横浜市立岡村中学校 勤務】K.Tさん H17年3月卒業
生徒のために力を尽くそうという気持ちを忘れずに
いつか恩師を追い抜くまで頑張ります
生徒のために力を尽くそうという気持ちを忘れずに
いつか恩師を追い抜くまで頑張ります
日本体育大学体育学部を経て横浜市立岡村中学校 勤務

私は、大学卒業後すぐに教師を目指したわけではありません。まずは某バイク買取業社に就職し、朝9時から午前1時まで営業の仕事に追われる日々を過ごしました。営業は売り上げが給料に直結します。懸命に働きましたが、冬のボーナスは手取りで7500円でした。
「何かが違う…俺は何のために働いているのか? 金のためか? いや、違う。俺は、もっと人のために力を尽くしたいんだ」
そんな時、ふと脳裏に浮かんだのが、清風陸上部の高橋弘之先生の顔でした。とにかく何事にも全力で取り組む高橋先生を思い出し、教師になりたいという感情がわきあがりました。
仕事を辞め、教員採用試験を受ける準備を始めたのは25歳の時です。生活がありますからお金は稼がなくてはなりません。私は、中学校の非常勤講師をしながら教員養成の予備学校の夜間部へ通い、さらに深夜までアルバイトを重ねていました。
さすがに疲れてへとへとになりましたが、夢は捨てきれません。横浜市の教員採用試験を受けましたが十分に答えられず、半分は諦めかけていました。
結果は非常勤として勤めていた松本中学の職員室で知りました。パソコン上の自分の受験番号が合格者の一覧にあったときは、飛び上がるほど嬉しかった。周りの先生方も心から祝福してくれて、人生最高の瞬間でした。
現在、岡村中学1年2組の担任として日々生徒と向き合っています。陸上部の顧問も務めていますが、高橋先生にはまだまだ追いつきません。
本当に四六時中、生徒のことを考えていますが、人を教育することの難しさも感じ始めています。私は人生で遠回りをしたかもしれませんが、寄り道をした分だけ、他人と違う面があると思います。
今、本当に充実しすぎるくらい充実しています。人のために、生徒のために力を尽くそうという気持ちをずっと忘れずに、いつか恩師を追い抜くまで頑張ります。
【横浜市立十日市場中学校 勤務】K.Mさん H14年3月卒業
気づかないところで私を見守ってくれていた
横浜清風の先生方
気づかないところで私を見守ってくれていた
横浜清風の先生方
神奈川大学経営学部を経て横浜市立十日市場中学校 勤務(平成14年3月卒業生)

私は横浜清風の前身である明倫時代に入学し、3年生の時に校名変更となりましたので、清風第1回卒業生です。校名変更・男女共学という大きな変化のなか、戸惑いも多かったです。スクールカラーはエンジからマリンブルーヘ、伝統の円型校舎にも男子トイレが設置されるなど、大変革期をすごしました。
教員を目指すきっかけは、中学・高校でお世話になった恩師の存在です。また大好きなバスケットボールと関わりを持ち続けることができる環境を求めたのも、理由の一つです。さらに清風で教育実習を経験し、思いはとても強くなりました。大学を出てOLなどもしましたが、教員になりたい気持ちは変わらず、茨城や横浜の高校で講師を4年、その間数学の教員資格も取得しました。今は中学3年のクラス担任をしています。当然進路の話題になるのですが、母校・清風を薦めています。
私は高校時代に父親を亡くしたのですが、その時担任だった大高良之先生から手紙を頂きました。とても心のこもった内容で、今でも大切にしています。清風の先生たちは気づかないところで私を見守ってくれていたんだなあと思うと、今でも涙が出る思いです。一番の思い出は部活動です。顧問だった出川啓子先生の「礼儀・時間・あいさつを重視し、愛される人になりなさい」という教えは、私が今、中学生に伝えている大切な言葉となっています。
